日常&署名活動 [雑記]
朝起きて「ノドが痛い」と娘が言った。
ああ、そうよねぇ〜、こんな時期だもんねぇ〜とそれ以上の進行は考えない
ようにして日曜の朝が始まった
日曜日とは云え、ほぼ毎週何かの予定がある。
何だか、いっぱいやることがある。
(それはどこのお宅もそうだろう…)
でも、うちは本当に休みが無い。遊びが無い。まったりが無い。
旅行も無い。ついでにお金も無い。
ただ、今日あるのは子どものサークル活動(ちなみに工作の当番)と、
「バリアフリー2001」という福生市で活動をしている団体の活動紹介の
会を聞きに行くという事。 そしてそこでの署名活動だった。
娘が起きてくる前に、TVで辺見庸さんが語っているのを聞きながら
工作の題材「森の小人」の試作をした。
去年、自分で編み出したトイレットペーパーの芯で作るお人形のシリーズ。
自分でも結構気に入っている
可愛げのあるものを作りながら、耳では辺見庸さんの語りを聞いた。
3.11のこと、そしてそれ以後の私たちの事、私達がそれ以前にはまるで
忘れたようにいや、完全に忘れ去っていた <人は万物の中のほんの一部>
ということ。
原子力発電にも反対(つまり人間にとって持て余してしまうモノ)という
内容を語っていた。
辺見さんは、このような事も云っていた。
「80、90歳になった人たちが死んでいって、そしてまあ、そのような年齢なの
だからしょうがない。というような感覚があって…、でも、そのように、生きて
いても誰のためにも何のためにもならない力のない人たちこそ、生きるべき。
生かされるべき。生きてもらおう!
そのような人達に生きてもらうことが我々の為になる。」
なるほど…と思います。
そのように、人のためになるとかならないとか、若いとか年寄りとか、その他
諸々の条件で人を見ず、ただひたすらに、他者への優しさを自分の中に創り
だそうとすることで、自分も人間としてのギリギリのところを生きることが
出来るかなぁ。
そういうふうに努めようとする気持ちがなくなった時、そこで人としての核を
捨てた事になるんだろうなぁと思いました。
弱い人間だから思うのですが、優しい人間になる事って究極の目標。
難しい…。
話は違いますが、
今日の署名活動は勇んで、そして用意周到に整えて行ったのに…
たった一人に頂いた、それのみでした。
あ〜、人に頼むのって精神疲労
そして、娘は午後になって39度を超える熱…
日曜だし、様子をみるため病院へは行かず。
でも、インフル入ってる?
とりあえず一句
氷上に押し固められ 日々のいとなみ
(2012 冬)
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